2022/03/25
インタビュー「森の自然こども園東本梅と亀岡型自然保育について」(3)自然保育について
園と自然保育について1.生き物と友だちになる中で、命に気づく体験を
_自然保育が始まって変わったことはありますか?
【岩﨑】
以前から生き物をつかまえてはいたんですが、幅が広がったり、深まったりしていると感じますね。「この飼育ケースの中に一体何匹のバッタがいるんや!」と思うくらいのバッタが入っていて、葉っぱをあげてもあげても次の日には食べてしまっているみたいな。収集家たちです、みんな。
【田畑】
また上手に捕まえはるんですよね。
【岩﨑】
カエルをいっぱい捕まえてきたりとか。
飼育ケースは園のもあるし、家で捕まえたのを持ってきたりとか、園で捕まえたのを持って帰ったりとかしているときもありますし、より生き物も身近になりました。
受け入れ態勢の幅も広がっています。はじめは「どうするこの沢山のバッター!?」となりましたけど(笑)
餌替えをしているときに、それだけバッタがいるので、沢山葉っぱを入れるために蓋を開けるんですよ。そうしたら中のバッタがうわーって飛んでくる。でもそれがまた面白い。皆ワーワー「にげるにげる―!」って言って。ハプニングが面白いみたいで「たいへんだ、たいへんだ―!」って子どもたちも一緒に(笑)
はじめの頃は捕るばっかりで、世話は誰がするの? みたいなのもあったんですけど、ゆくゆくは世話の仕方とか、「自分たちもご飯食べてるから生き物もご飯あげないとな。」とか、まあ声かけたりもしますけど……
最初のアカハライモリは「帰しにいこう。」と子どもが言ったので、帰しにいきました。
【岩﨑】
帰すときもあるし、帰さずに亡くなっていることもあります。飼うって言っても、他に興味が移って虫たちはほったらかしになっている時もあって、それで亡くなっていることもある。
大人が飼っているのを見せてあげるのも一つやし、興味持ったらいっしょにやったりとか。
そういう中で、虫とか生き物の死んでしまう場面にも出会うので、どこかで子どもたちがハッと命に気づくような場面があったらいいな、何か心に響くものがあったらいいなと。ほんまに命をもらいながら遊ばしてもらってるなアと思います。
捕まえるだけ捕まえておいて……と思わなくもないんですけど、でも初めは、捕まえて集めるところがスタートかなと。
職員も結構深く考えるようになりました。今までも考えてはいたけれど、常に自然とか環境とか生き物とか季節とかが頭の中にある感じは、やっぱり亀岡型自然保育モデル園としての取り組みなんだというのが積み重なってきている。そこはひとつ成果と言うか、意識が変わったところですね。大人が変わるとやっぱり保育も変わるし声かけも変わるし環境も変わるので、子どもの姿も一緒に変わっていくっていう所は感じます。
面白いです。ほんまに考えさせてもらいます一緒に。
【仲田】
今ね、こども園に257種の生き物がいるんです。植物で72種。まだ全部は調べられてないんですけど、でもおそらく300種くらいの生き物たちがいる。
僕が子どもの時も、生き物の命が大事だってそういう感覚はほとんどなかったと思うんですよ。クワガタでも魚でも。
別にいっぱい取ったらあかんとか、とったら逃がしなさいとか、あえて言ってないんです。
実際に小さな生き物の命をいただいていることは事実かもしれないけど、ある意味必要なんだと思いますし、バッタをとることがまず楽しみとしてあって、5歳児さんくらいになると、名前はなんやろなとか、皮があったら脱皮するとか、次の地点へ行くと思う。その中から大きくなってくるとだんだん命の大切さとかそういうことがわかってくるし。
そういった形で、いろんな生き物と友だちになっていくみたいな感じの方が重要やと思います。
_生き物と友だちになる……
【仲田】
さっき岩﨑先生がお話されたアカハライモリのことがまさにそうなんですが、謎の生き物を探そうという話から始まって、みつけて、釣れるとか釣れへんとか言いながら網を持って行って、釣れない、ゆっくりいかなあかん、とか色々やりながらやっと捕まえて。
他のところやったら捕ってもすぐ逃がしなさいとかいうところが多いんだけど、僕は別に逃がすなら逃がしてもいいし飼うなら飼ってもいいしと思ってますので。
それで飼っていたら、イモリが弱ってきたので、子どもたちがどうしようと考えて戻しに行った。
その後しばらくして、子どもがふと「どないしてんのやろ?」と言ったそうなんですよ。
「何のこと? 誰の事言うてんのや?」と先生が聞いたら、「アカハライモリさんどうしてるのかな?」って。
そういったところから、私の思う「生き物と友だちになろう」というのはね、「生き物を単に好きになりなさい」とかそういうことじゃなくて、「友だちやったらわかるやろ?」ということ。
困っていたら助けないといけないし、遊ぶときは一緒に遊ぶし。そういう形があの体験の中から生まれてきたことだから、さっきのバッタとかカエルもいっぱい取ってきて、先生があかーんっていうこともあえて言わない。かわいそうなのはかわいそうなんですけど、その経過の中で子どもたちが意識的に学んでいくような気がするんです。
2.あらゆる学びに繋がる「なんで?」と向き合う
【仲田】
僕たちもそうだけど、慣れてきたら見えないんですよ、色んな事が。見てるけど何にも見えていない。そういうことを子どもたちが「なんでやろな?」とかね、ちょっということがあるんですよ。
例えば、玄関の門扉ストッパー部分に、安全対策でタイヤがつけてあるのですが(下写真)ある子が「どうしてあるの、これ?」って聞いたんです。まあ大人ならすぐ答えを言えるんだけど「そやな、誰が作らはった? 田畑さんが作らはったから聞いてみー。」って。そうしたら田畑さんに聞きに行って、またこっちに来てくれはって「こうや、こうや……。」って教えてくれるので、「ふーん、そうなん。」て聞いて。
一番大切にしているのがそういう一見どうでもいいようなことを「ふうん?」って聞くようなことなんです。そういうところに、そこから広がっていく入口があるような気がするからね。
_「なんで?」ってきいていいんだと子どもたちが信じられる環境は、すごくいいですね。
【仲田】
このあいだ、ストーブのところで息が白くなる理由を伝えたんですね。その場はそれで終わるんだけど、それを聞いてくるという事は、ひょっとしたらこの子たちは「飛行機雲は何故できるの?できないこともあるけど、それはどうしてなの?」と来年になったら聞いてくるんだろうな、と想像するんです。不思議でもなんでもない普通の情景やけどね。そういうことから僕も刺激を受けるみたいな感じやね。
正直わからないこともあるんですよ。「え? これ、どう答えたらいいの?」という。竹林の横を散歩しているとき、まだ3歳にならない子が、道がぽこんとなっているのを見て「どうしてデコボコになってるの? 膨れてるの?」って。
【岩﨑】
「何で物は重たいの?」とか、学校に行くと科学的な芽になるところにつながっていることもある。
氷ができたときも、「せんせい、こおりな、ギューってにぎったらな、汁がでんねん!」って教えてくれて、でも「とけてる」とも言わはるんですよ。理科の授業につながる前の、「遊びの中で学ぶ」というのは、就学前教育で大事にされていることなんですけど、答えられないこともある。
「なんでなんやろなー?」ってかえすと、子どもたちなりに「こうやからちがう?あれやしかな?」と考えたりする。
生活とか遊びの中で「なんで?」というのは学校で言うと学びですし、大人になってからも「なんでこうなってるんやろう?」から「じゃあこうしてみようか!」というのは、ずっと大事なところなのかなと思います。
【仲田】
大人が大人に説明するんだったら出来ないこともないけど、それを子どもにわかるように説明ができないと、わかっていないということになるからね。難しい言葉を使ったら簡単に説明できることを、小さい子にやさしい言葉でどう伝えられるか。年齢が下がってくるほど、うまいこと伝えるのが難しいですね。かなりきっちりと理解をしたうえで、それを子どものわかるやさしい言葉で少し言ってあげる。
_「なんで?」っていうままで残しておくというのも、ひとつの手ですか?
【岩﨑】
そうですね。
【仲田】
そうやね。すぐに答えがあることもあるけど、ほとんどの場合がそんな簡単にはできないし、ある程度時間がかかってくるからね。